49歳 週末の過ごし方 

もうすぐ今日という一日が終わりを迎えようとしている。今日は一日何をやっていたのだろうかと振り返ったのだが、サラリーマンにもかかわらず仕事をしてしまった。

能力がないばかりに土曜日曜のどこかの時間で取り戻さなければどうにもならず・・。

ただ、漫然とやられてなるものかと思い立ち、Chat GPTを使って何とか楽はできないものかと取り組んでみたところ、案外と面白くて気が付けば夕方だった。これで良かったのかどうなのか、判断するのは自分次第ということだが、何もせずにテレビを見るよりは幾分か得るものがあったということで納得をするしかあるまい。

休みが待ちどおしくて仕方がないという趣味や「推し」を持っている人が、ちょっとばかり羨ましく思う。強烈に何かが欲しいという物欲も湧いてこず、外で美味しいものを食べたいという欲もそれほど強くはなく、積んであるビジネス書をパラパラとめくってみては自分には出来ていないことが沢山書かれている様に感じて滅入ってしまう。

かつては片っ端から読んでいたファンタジー小説や魚釣りのルポタージュなんかにもいまいち手が伸びず。

少し外へ出て人に会うのがよいのだろうが、なんとなく一人でいることを選んでしまう。まぁ外は寒いので春が来るまではこのようにして引き籠っているのだろう。ウインタースポーツにも興味なし。

今日という一日は、昨日亡くなった誰かがどうしても生きたいと願っていた一日だと何かで読んだことを思い出した。本当にぼんやりしていた。

少し前までは、ぼんやりすることにものすごく焦燥感を感じていたのだが、最近はぼんやりもまぁ仕方のないことかと考えるようになってきた。

おそらく、自分の中に何かの波があるのだろう。今はまぁ毎日何となく生きているだけでもいいんじゃないかという、そういう小波のタイミングなのだろう。またそのうち盛り上がってきて何かやりたい波が来るに違いない。波を待つことも大切だ。

風呂に入って、本を読んで早く寝ることにする。

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