2025年1月現在。私は48歳である。いろいろ記録しておけばよかったのだが、今となってはどんどん忘却していくばかりなので、覚えているうちに投資遍歴を書いておき、今後の投資活動については記録を付けていこうと考えている。
株式というものに、初めて触れたのはおそらく小学生くらいのことだったと思う。触れたといってももちろん売買したわけではなく、話を聞いた程度の事だ。1980年代でバブルの空気が充満していたころだっただろうか。お正月に親戚が集まる習慣があった当時、叔父さん叔母さんたち大人がお酒を飲みながらいろいろ話をしているのを聞くことがあった。「NTTの株、みんな買った?」みたいな話題に。株式って普通の人でも買えるんだ、と子供ながらに驚いた記憶があります。
同じく1980年代、友達との会話も思い出しました。1983年に任天堂がファミリーコンピューターというゲーム機を発売。当時、小学生だった私たち世代はあの手この手で親を説得してファミコンを手に入れることに一生懸命だったような記憶があります。私も「みんな持ってるから」と、何人かファミコンを持っている友達の名前を列挙してしぶしぶファミコンを買ってもらうことができました。
ファミコンが一家に一台くらい普及したころ。友達との会話で「ファミコン作ってる任天堂って何の会社か知ってるか?花札の会社やってんぞー」と、教えてもらい、次の言葉が強烈に印象に残ったのです。「最初っから任天堂の株を買っておけば、今はとんでもないお金持ちになってたと父ちゃんがいってた」 今思えば、親のマネーリテラシーレベルが違っていたのだなと感じるエピソードでした。
私は母子家庭で育ちました。男ばかりの兄弟3人。私は長男。途中、母親が再婚してしばらくは「ステップファーザー」がいたのですが、結局別れてしまって。母子家庭というと、イメージではいくつものパートを掛け持ちして爪に火を灯すような生活なのかもしれませんが、私が育った環境は少し異なりました。母親は大手生命保険会社の外交員をしており、今思えば結構なやり手だったようで一般的なサラリーマンよりははるかに稼いでいたようです。外食した際のレシートもすべて取ってあったので経費でいろいろと落とすことにも抜かりなかったのでしょう。今更ながら、母親としっかりとお金の話をしておけばよかったと思うこともありますが、当時の時代背景として大人と子供がお金の話をオープンにするのはあまり良いこととはされていなかったように思います。一度、テレビ局で働いているという親戚の温厚なおじさんに、「おじさんの月給はいくらなん?」と、悪気なく尋ねた際に、「子供が金、金ゆうもんじゃない!」と、珍しく厳しく言われたことも記憶に残っています。
そんな母親がある日突然、「お母さんね、株を買ってみたのよ」と小学生の私に言ってきたのです。記憶が間違っていなければ「アラビア石油」という聞いたこともない会社の名前でした。それからしばらくの間、新聞の株式欄にある「アラ石」という項目を探して、上がった下がったと一喜一憂していたものでした。何株買ったのかは分かりませんが、今と違って単元未満では株は買えなく、証券会社の窓口で買うしか手段がなかったはずですので、きっと100株か200株かといったところだったのでしょう。
暫くは株価を見ていましたが、そのうち見ることもなくなり結局その会社と株がどうなったのかは分かりません。今思えばですが、母親が株を買ったという事象と、その手前の任天堂で大儲けした話を結びつけることができていれば、「母さん、任天堂の株を買って!」と、言えていたのかもしれません。
その後、「アラ石」がどうなったのかは中学受験だとかなんだとかでフェードアウトしてしまい、株との接点はしばらく遠のいていきました。因みに中学受験は見事に失敗し、公立の中学、高校と進学していきました。中学、高校では株式や投資の話はないままに過ぎ去っていきました。
お金に関わる記憶としては、中学生くらいの時だったか、同居していた祖父がいいものを見せてやると祖父の自室で帯の付いた札束を目の前に積まれたことがありました。祖父はゴルフの会員権を取り扱う自営業をずっとやっていたようで、景気も良かったこともありお客さんからたまたま預かった大金を私に見せてくれたのでしょう。たしか1500万円くらいだったと思います。あまりにも大金過ぎて、「へぇー」という平凡な驚きだけで、不思議と興奮もしなかったように記憶しています。
高校生活を無事に終えたのですが、大学受験には失敗してしまいました。学生でも社会人でもない、今から思えばとてもありがたい「浪人」という身分になることができました。予備校へ通ってひたすらに勉強をする日々。小さな規模の予備校だったこともあり、クラスメートと何人か仲良くなることもあり、遊びに勉強にと切磋琢磨したことを思い出します。
予備校の先生の中に、確か現代文の先生だったと思いますが、中国語を話すことができる人気講師がいて、まだまだ発展途上国だった中国でしたが、その先生曰く、これから10年、20年先には中国が大国になってくると言っておられたことを覚えています。これまた間抜けな私は「ふーん」としか感想がなく、本当に愚かでチャンスを逃してしまったのだなと振り返ります。
そうこうしているうちに浪人生活も最終版に差し掛かったタイミングで阪神淡路大震災が発生。家は全壊したものの、ケガすることもなくどさくさにまぎれたまま2月に大学受験し、滑り込みで合格。晴れて大学生になることになりました。
抑圧された浪人生活と被災生活からの解放を大学生活に求めてしまい、毎日10時間以上は勉強していたはずがほとんど勉強することもなく、蝶よ花よと時間を浪費していたように思います。日本の大学、社会人、春の一括採用、終身雇用といった制度ががっちりある時代だったこともあり、大学4年間をある意味、モラトリアム期間のような捉え方をしてしまっていたのかもしれません。
ただ、この大学生活でたまたま入った地味なサークルで出会った後輩が変わり者で、株とのちょっとした接点が出てきました。彼と何気ない会話をしている時に、「僕は高校生くらいの時に親に頼んで株を買ったんですよね。」と、ぽろっと言ったものですから、「え?株って買えるの?どこの株かったの?」と、聞いてみたところ、「ゲームが好きなのでコナミの株を買ったんですよね」と。
大学の後輩が株を持っている。しかも、配当金なるものももらっているらしい。利益が出ているのでそろそろ売却するとか言っている。へぇ、すごいな。と、思ってはみたものの、やはり間抜けな私は特にアクションを起こすわけでもなく、後輩が株を持っているという事実をインプットしたまま卒業していきました。
就職は超氷河期時代と言われていましたが、激戦区の超大手企業、広告業界などを避けて中小企業にスーッと職を得ることに成功。浪人して一応ブランド物の大学に入っておいてよかったと思います。
入社した会社はまさに中小企業でしたが、財務状況は良好でこの不景気でもつぶれることはあるまいということで選んだようなものでした。勤め始めて2年目くらいのタイミングで、社内がザワザワしているので何があるのだろうと思っていると、「いよいよわが社も上場します」とのことで、上場に向けていろいろと気を付けてくださいといった通達が矢継ぎ早に飛んできました。
「ま、自分には関係ないしな」と、相変わらず間抜けな私は他人事だったのです。ところが、当時、OJTについてくれていた2つか3つ上の先輩がどうやら1000株くらいは株を持っているらしいことが分かりました。先輩によると、ある日、とりあえず50,000円もって来いと会社から言われて、なけなしの貯金から50,000円工面して持って行ったところ額面50円で1000株の自社株を買う手続きがあったとのこと。当時の課長級の人だと20,000株とか30,000株を持っているとか。
まさに入社したタイミングが悪かった私は1株も持つことなく会社は上場を果たし、このタイミングで古参の社員はひと財産築いてしまったことに暫くしてから気付き、「なんかよくわからんけど、損したような、なんなんだろう」という、脱力感があったような気がします。
その後、従業員持ち株会なるものが発足し、毎月の給料から天引きで株を買い付けることができるという連絡もありましたが、あまり気分がのらずスルーしてしまいました。
務めている会社の株も買うことなく、社会人3年目くらいまでは投資ゼロ状態でした。ただ、幼少期からなぜか節約と貯金は好きでしたので、時々無駄遣いしたものの元来のケチ臭さを発揮してちょっとずつ貯金はしていたように思います。ただ、社会人になったときの貯金は本当に10万円あったかどうかというレベルだったので、少し増えたくらいで大きなインパクトはありませんでした。
入社して4年目か5年目だったでしょうか。たまたま後輩と話をしている時に、彼は持ち株会に入って毎月積み立てをしているらしく、株価の上昇もあってちょっと増えているというようなことを教えてもらいました。しかも、持ち株会で株を購入する分については、会社から5%の奨励金が出ているとのこと。つまり、株価が上下しないと考えた場合、金利5%ということ?と、いまさらのように気付き、慌てて総務部に電話して持ち株会への登録をお願いしました。
持株会という枠組みでしたが、これが人生で初めての株購入になりました。
時を同じくして株式について、けっこうインパクトのある話も聞いてしまいました。ある日、取引先の方と商談している時の事です。彼は私よりおそらく3歳くらい年上だったと思います。超有名企業の営業マンで、仕事は時々ポカをすることもありちょっと抜けたところあるかな?と、思っていたのですが、ふとしたことから株式の話をし始めた途端、もともと頭脳が抜群に良いのでしょう、「もう働くのがバカらしくなる」くらい稼いでいるとのことでした。特に話を盛るタイプでもない人でしたので、本当に利益が出ていることは事実だったと思います。ほどなくしてマンションを買ったとの話もありました。なんだかすごいなぁ、でも結構リスクあるんじゃないのかな、などと考えていたように思います。
ちょうどそのころ、インターネットのサービス拡大が毎年どころか毎月のように各方面でアップロードされ、とうとう株もインターネットで買えるようになるぞと言うことで話題になりました。当時、東京の秋葉原近辺で務めていたのですが、駅の近くに日興証券の「株の窓口」みたいなお店がオープンしていたので、何だろうと入ってみました。オンラインで株や投資信託が買えますよという紹介と口座開設の申込書を貰って帰り、とりあえず家で申し込みをしてみることに。
右も左もよくわからない状態でしたが、なんとか証券口座を解説することができ、入金も完了。取り敢えず何か買ってみるかと、いろいろ見てみたのですが勉強も何もしていないのですからよくわかりません。たまたま大学の時にブラジル経済について調べていたことがあったので、ブラジルに投資してみようかと思い毎月10000円ずつブラジルの投資信託を買う設定をしてみました。
今思えば、このタイミングからアメリカ株に投資していれば、今頃なかなかの資産に育ったかもしれませんが、当時の私が選んだのは「ブラジル」だったわけです。逃がした魚は大きかったですね。
毎月、持株会で自社の株を買い、ブラジルの投資信託に投資する。どちらも自動的に決済されてしまうので自分で特にすることは何もありませんでした。
ある日、また事態が動きます。会社の総務部から電話がかかってきまして、自分ではほとんど把握できていなかったのですが、給料天引きで貯めていたらしい「財形貯蓄」というやつが限度枠まで貯まってしまったのでどうしますか?とのことでした。「ちなみにいくらくらい貯まっているのですか?」と、聞いてみたところ「おおよそ500万円」とのこと。
悪い癖なのですが、私は、お金を貯めるのは好きなはずなのですが、給料明細や貯金通帳を見るのが面倒くさくてあまりよく見ていないのです。まさか500万円も貯まっているとは驚きです。これ以上貯められないとのことで、いったん引き出すことにしました。
手元に銀行預金の口座残高とは別に500万円もある。「車でも買い替えるか?」に対して、「いや、別の事に使おう」と思い直した自分は素直に褒めてやりたい。
たまたまブラジルへの投資のために証券口座を開いていたことも何かの縁だったのでしょう。そして、ふと大学時代の抜け目ない後輩の株の話を思い出し、そして先輩社員たちが自社株のインセンティブでちょっとどころではない幸運を手にしていたことも併せて思い出し、さらに取引先の営業マンが株で儲けた話まで思い出し、株式投資をやってみようと思い立ったのでした。
思い立ってみたもののどこの株を買えばよいのかさっぱり分かりません。まだネット黎明期でIT系の会社も怪しいところが多かったり、今ほど情報をあちこちから手に入れることができる時代ではなかったものですから、ひとまず雑誌を買ってオススメ銘柄を探してみることにしました。
当時、いろいろ考えて買った株を思い出してみます。HISという旅行会社、パーク24という駐車場運営会社、カゴメ、ダイナックというサントリー系列のレストラン運営会社あたりでしょうか。
ちなみにこのタイミングで間抜けすぎる私が候補に上げつつ買わなかった銘柄は、今でも鮮明に覚えています。買った株よりも逃がしたデカすぎる株を覚えているあたりがひねくれているのですが・・。その株とは、ファーストリテイリング、シマノ、オリエンタルランド、キーエンス。いずれの会社の株も、その後日本を代表する銘柄になりました。本当に悔やまれる初心者デビューでした。
なぜ買わなかったのかを客観的に振り返りますと、ユニクロはフリースブームが一巡したら厳しいのではないかと思い、シマノは釣り具メーカーだと勘違い(※釣り具も一流ですがギアが本業)、オリエンタルランド、キーエンスは高くて買えず。ただ、私には虎の子の500万円があったので、買おうと思えば買えたのですが、完全に初心者で教えてくれる先生も友達もおらず、以前に祖母から聞かされたことのある株で大失敗して田畑まで取られた遠い親戚の話を思い出したこと。また、当時の空気感からしても、バブルで大損した人たちの悲惨な末路をテレビなどで見ることも多く、とにかく慎重にというマインドだったことが思い出されます。
数社ですが「株主」になった私。しばらく株を保有していると「株主配当」のお知らせが届きました。配当を貰うのも初めてだったので、とりあえず郵便局へもっていき、配当金数百円を受け取るだけでとても緊張したのを覚えています。わずか数百円でしたが、このお金はわたしが1秒も労働することなく受け取ったお金だと思うと、なんだか不思議な気分になったものです。その後しばらくして、配当金を証券口座へ振り込むことができるようになりましたが、しばらくは直接郵便局へ持ち込んでいろんな会社の配当を貰うたびに、これが配当金か・・と、財布の中にわずかに増えるお金に感謝したものです。
また、初期に買ったパーク24さんはコインパーキングの駐車チケット、カゴメさんはカゴメの商品詰め合わせ、ダイナックさんは食事券もしくはそのチケットを米に変える権利なんていう各社の株主優待を受けることもでき、これはありがたいものだと実感しました。
初期に買った株による恩恵を受けた際に、配当金と優待は重要だということに気付きました。安い株価なのに配当を沢山出している会社はないだろうか? 生活に役立つ優待がもらえる会社はないだろうか?と。
当時、日本株の値動きは今ほど激しくもなく、緩やかに上がったり下がったりだったのでもう少し株を追加で買ってみることにしました。前述の配当と優待も加味して選んだ銘柄が、タムロン、ミルボン、富士フィルム、ヤクルト、伊勢丹、ハウスオブローゼ。
これらの株はもう10年以上ずっと保有し続けています。2025年1月時点では、ハウスオブローゼを除いた株はすべてプラスで推移しています。配当金も年々増えていますので、配当比率もしっかり上がってきてくれてありがたい限りです。
その後も株式投資は続けています。また別項目で投資についての内省をつづっていきたいと思います。
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