夢の9連休などと言われた年末年始のお休みが終わってしまった。
私は残念ながらクリスマス辺りからインフルエンザにり患し、そのまま休みに突入するも別の風邪もひき込んでしまいほとんど熱にうなされ、床に臥せったまま過ごした9連休を過ごした。
やはり健康よりも大切なものはないと痛感し続けた9日間であった。さらに、本日から仕事始めではあるが、正直なところ体調がいまいちなのである。喉もイガイガするし体がダルイ。
なんとかかんとかエッチラオッチラと仕事をしはじめたのだけど、ネットのニュースを見ていてびっくりした。
この休み明けに「退職代行サービス 急上昇!」とのことである。
9連休してしまったばかりに仕事を辞めたくなってしまう人がいる。そして、そのまま辞めてしまう。ある意味、人材の流動化が進んでいるという風にとらえることもできるけれども、同じ職場のメンバーや上司もびっくりするだろう。本人ではない代理の人から連絡があるとなると、これはもう社会はリアル仮想空間ということなのだろうか。
ただ、自分自身の人生を振り返ると、少しばかりチクリと痛みを感じることがある。
今まで、学校にしても部活動にしてもアルバイトにしても、明確な意思を持って「辞めます」といって辞めたことがないと気づかされた。職場についても、新卒で入社してから辞めることなくお勤めしている48歳現在。
学校や部活は卒業や引退ということで、辞めなくても自動的に区切りがつくこともある。それでも、私に関して言えば中学の時に所属していた剣道部は、中学2年生ごろから何となく行ったり行かなかったりになり、引退するでもなく何となくフェイドアウトしてしまったことを思い出した。
きっと当時の部員たちからすると、あいつは何だったのだろうかという存在のまま、いつしか忘れ去られていったのだろうと思う。まさにフェイドアウトである。
アルバイトも何となく行かなくなって、いつの間にかたぶんクビになっていたのだろうという辞め方が多いように思う。
社会人25年目。一回くらい、「お世話になりました。辞めます。別の仕事に挑戦します」と言ってみたい気持ちになることがある。これがきっとミッドライフクライシスなのだろう。
そういった点では若い時に転職した人は少なくとも「辞めます」を経験しているわけだから何かしらの強さを身に着けているのだろうと少しばかり羨ましくも思う。
何かの本だったか講演だったかで印象に残っているフレーズがあって、「何をやるのかではなく、何をやらないのか」を決めることが大切だといったニュアンスだった。
このフレーズの後半の「何をやらないのか」を決めるということは、ニアリーイコールで「辞める」ということなのだらろうと、ふと気が付いた。
今まで48年間(2025年1月現在)生きてきて、たいして「辞めれた」ことがない。これは大いに考えるべき点なのだろうと思う。何を辞めれるのか。よく考えねばならない。
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